Google Translator

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

管理人の定年後の友としてFXのブログは別途ここに

brogu mura

神戸の天気

最近のトラックバック

メールフォーム

  • メールフォーム

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月の6件の記事

映画「儚い光(原題:Fugitive Pieces)」

2007年 カナダ・ギリシア映画 

原題:「Fugitive Pieces」(亡命者の物語) 邦題:「儚い光」(ハヤカワ・ノベルズ翻訳本のタイトル)

2007年カナダ・トロント映画祭などに出品され、各種映画祭の賞を受賞した作品。カナダの詩人アン・マイクルズ(Anne Michaels)の世界的ベストセラーを映画化したもの。

私も最初は何の知識もありませんでしたが、耳元で囁くような映画の語り口に魅せられて、最後まで全部見ました。映画を見た後、調べてみますと、原作は世界25ケ国で翻訳され、オレンジ小説賞などを受賞したということを知った次第です。生きることの意味を探し彷徨する魂を詩的な語りで紡ぐ珠玉の大作という表現に恥じない、切なくて素晴らしい作品であると思います。こうしてみると2008年の出品作品「パッシェンデール」もそうですが、トロント映画祭はこれから目を離すことができないと思いました。

Internet Movie Data Base : Fugitive Pieces

imdb.com

あらすじ:

ナチスの殺戮を逃れた七歳の少年ヤコプは、ギリシャ人地質学者アトスに救われ、二人はアトスの故郷の島へ逃げた。家族を虐殺されて心に深い傷を負った少年を、アトスは深い慈愛で守り、貧しいながら豊かな学問を授ける。戦後、二人はトロントへ移住し、穏やかな日々が続く。過去の悪夢から逃れられぬヤーコプは、アトスが授けてくれた学問に救いを見出すようになる。そして、アトスのほか唯一の理解者となる妻にも巡り合った。そして、ヤーコプがついに得た人生の喜びは。。。

感想:

フィクションと思いつつも、ギリシャ人アトスの優しさに心をうたれました。通常は大人に成長するにつれて子供のころのつらい記憶は忘れるものだと思いますが、主人公のヤコブは決して忘れることができません。それは家族が全員ナチスに殺されて一人も生存していないことがその大きな原因ではないかと思います。一人でも生き残っていたら多少は違っていたかも知れません。人間は一人では生きていけないものであるし、「人生にとって身近にいる家族がいかに大事か、幸せは家族と一緒にいることだ」ということを改めて思い起こさせてくれました。ただ映画の最後のシーンは「血の絆」を確認するという感じですので、考えようによっては少し怖いものを感じます。

私は原作は読んでいませんが、しばらくは読まずにおこうと思います。

日本では今のところDVD発売予定はないようです。

「儚ない光」(Fugitive Pieces)の予告編

日本語字幕あり, 画面右下CCキャプションをクリックして日本語を選択する

本編(日本語字幕付き)の視聴は下記(前半部分だけ公開)

part (1) :http://www.dailymotion.com/video/xbcydc_yyy-1-of-6-yyyyy_shortfilms

part (2) :http://www.dailymotion.com/video/xbd48o_yyy-2-of-6-yyyyy_shortfilms

part (3) :http://www.dailymotion.com/video/xbd4gq_yyy-3-of-6-yyyyy_shortfilms

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

このブログがお気に召したらクリックをして下さい

人気ブログランキングへ

ご面倒でなければこちらも

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

映画「The Killing Fields」(邦題:殺戮の荒野)

映画「The Killing Fields」(原題:キリング・フィールド)-邦題は「殺戮の荒野」とでも仮に翻訳します。 1984年アメリカ映画 アカデミー賞助演男優賞など3部門受賞

時代背景:1973年(昭和48年)のベトナム戦争終結直後の1975年から1977年まで2年間のカンボジア・ポルポト政権狂気の時代における歴史の真実を表現した作品。ニューヨーク・タイムズ記者として後に、ピューリッツア賞を受賞したシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)の体験に基づく実話を映画化したもの。

あらすじ

第二次大戦終結後、世界はいわゆる東と西の冷戦時代を迎え、ベトナム戦争は1965年にアメリカがベトナムに北爆を開始して本格化し、最終的にアメリカ軍は1973年3月、ベトナムを撤退した。その後も、カンボジア共産党であるクメール・ルージュは戦闘を続け、結局1975年4月首都プノンペンを占領した。そのあたりからが本作品の始まり。

・シドニー記者はカンボジア人助手のプランとぎりぎりまで内戦を取材したが、プランは仕事への使命感から妻子のみアメリカへ逃がし、自分はシドニーを一緒にカンボジアに残ることを決意する。ポルポトによるプノンペン占領時、民衆は一旦は解放を喜んだものの、ポルポトはアメリカの爆撃があると嘘の情報を使い民衆を全員、集団農場へ移動させる。

・シドニー記者とプランは一旦フランス大使館へ避難するが、プランは結局、ポルポトが支配する集団農場へ移動させられる。シドニー記者はプランの妻子とともにニューヨークへ帰国する。

・ポルポト派が支配するサハコーと呼ばれる集団農場では、農民を搾取していた知識人がカンボジアを堕落させた元凶だとして、元教師、元医師などが理由もなく徹底的に殺戮された。

IMDB(Internet Movie Database)は下記:

imdb.com

プランは集団農場から脱出を図ったが、失敗した。しかし運良く別の集団農場の幹部の身の回りの世話をするようになった。その幹部がポルポト政権に批判的立場をとっていたのが幸運だった。幹部は「カンボジアを愛しているが、クメール・ルージュのやり方は間違っている」と言う。その後、ベトナムのカンボジア侵攻が近づいた時、幹部は「自分に万一のことがあった時は自分の子供を連れて外国に逃亡してほしい」と「地図とアメリカドル」をプランに託した。プランは、隣国タイへの脱出を決行した。途中はハラハラドキドキするものの、最終的には、シドニー記者とプランがタイの難民キャンプで再会を果たすというハッピーエンドで観客は胸をなでおろし、幸せな気分になります。

私はこの映画は36才の時、シンガポールに駐在員として赴任していたので、シンガポールの映画館で観ました。たくさんの欧米人が観に来ていて満員だったことを覚えています。実話の持つ迫力に圧倒され、ハラハラドキドキでした。

その後、世界はソ連のゴルバチョフ政権時代に1989年ベルリンの壁崩壊、ソ連の崩壊へと向かい、2009年の現在では共産体制国家は極少数となったわけです。

1917年のロシア革命から約72年を経て、共産主義は理想の体制ではなかったといういうことが概ね認識されるのですが、このカンボジアのポルポト政権が実行したのは、完全な平等主義の土地均分論をもとに、原始共産主義の達成を目指したもの。

共産主義は私有財産を否定する訳ですが、かのエンゲルスは著作「家族、私有財産および国家の起源」の中で、家族は男性が女性を私有財産として抑圧する段階で成立したと言い、家族すら否定する立場に立脚しています。ジェンダーフリーの思想もこのエンゲルスの思想の流れにあると私は思います。エンゲルスの主張は現代を見渡したときに私には賛成できません。

いずれにしろ、この映画は時代を代表する素晴らしい作品だと思います。

最後に映画「キリング・フィールド」を編集した2009年12月作成 youtubeです。極エッセンスのみですが、映画でも子供が家族を否定するシーンや「子供は過去に毒されていない存在」として崇拝される場面が表現されています。独裁者にとっては子供は利用できるが、知識人は粛清されるべき存在であるという恐ろしい実態が述べられています。我が日本がこのような事態にならないように切に祈ります。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

このブログがお気に召したらクリックをして下さい

人気ブログランキングへ

ご面倒でなければこちらも

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

シンガポールのホーカーセンター(Hawker Center)

シンガポールの屋台ですが、環境・衛生面の理由から、政府が設定した場所に一同に集められています。現地の言い方で、それをホーカーセンター(Hawker Center) と言います。

実際の発音はホッカセンターに聞こえます。シンガポール市内に何箇所もあります。町内ごとにあるという感じです。最も有名なのはニュートン・サーカス(Newton Circus)です。

私は、このホーカーセンターが大好きで、1985年に赴任していた時、土曜日の昼などしばしば行って食事をしました。屋台といっても、店には車輪はついていなくて、皆それぞれが、幅3メータ程度の店構えで、ラーメンだけとか、お茶だけとか、チキンライス(ロースト鶏とご飯)だけとか、ビールだけとか単品が基本です。だから、適当にセンターの中で椅子に座って、あちこちの店に注文しますと皆がそれぞれ私のテーブルまで持って来てくれます。料理を受け取る際に、代金を支払ってそれで完了です。単品販売ですから、料理の完成まで早く、しかも安くておいしい。極めて効率的です。

店の主人と話をしますと、政府にライセンス料を一ヶ月5万円程(記憶でS$600)支払って、権利を購入しているそうです。この時点のタイピストの月給より少し高いくらいでした。中には人気があって儲かる店の場合、メルセデスベンツに乗ってくるオーナーもいました。

どうしてこういう話しをするかと言いますと、日本の「サービス業の生産性」あるいは日本社会の閉塞感に関係しているのではないかと思うからです。

サービス業といいますと、金融、通信、商業(卸売り、小売)、流通、メディア、娯楽、宣伝、電力、港湾、空港、生活支援サービスなど広範囲に渡っています。2006年のデータで見ますと、全産業労働投入量の58%を占めるサービス産業(第3次産業)の生産性が全産業より16%低いそうです。。サービス産業で最も労働投入量が多いのは商業(卸売り、小売)で3分の1以上あるそうで、このあたりが生産性では大きな問題のようですが。その中でも、日本の飲食業に限って言えば労働投入量は数パーセントであり、実際には影響は少ないようです。

こういった、ホーカーセンターの利点について、素人ながら。

① 単品料理のため迅速、しかも、レストランより安価。

② 皆が集合すると料理のバラエティがあり実力ではレストランを超える。

③ 少ない資本で手っ取り早く稼げる。とりあえず日銭を稼げる。

④ しばしば日本国内で発生する道路交通法規制による不法占拠問題の解決になる。

難点は、日本は冬が寒いので屋外の吹きさらしは集客に問題がある。一年中温暖な東南アジアと異なる日本の気候が一番問題でしょう。

飲食業は生産性には大きな影響はないようですが、シンガポールのホーカーセンターは市民が暮らし易さを感じる大きな理由のひとつだと、私は思います。日本では飲食業以外にも他のサービス業は本当に市民の利便性を考慮した制度設計になっているのでしょうか。私は大きな疑問を抱いています。

サービス産業は、出店規制、建築規制などの各種の規制でがんじがらめになっていて、既得権が温存され、その結果、コスト高を招き、市民の暮らし易さは改善されず、しかも生産性は低いまま、閉塞感が漂う日本になっているのではなかろうかと、思うこの頃です。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

このブログがお気に召したらクリックをして下さい

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

ご面倒でなければこちらも

人気ブログランキングへ

厚生年金振込み通知書の受領

12月10日(木曜日): 

「年金振込み通知書」の葉書を社会保険庁から郵送で受け取りました。

中をあけてみますと、2009年12月と2010年4月までの各偶数月に支給する金額と初回振込み日が12月15日という連絡の葉書でした。満64歳までは部分年金ですが、36年間のこれまでの支払いに対して、初めて年金をもらうのはうれしいものです。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

このブログがお気に召したらクリックをして下さい

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村

公的年金等の受給者の扶養親族等申告書

九州から帰宅しますと、社会保険庁からはがきが届いていました。「扶養親族等申告書」というもので、前年度の扶養親族にたいして変更があったか、なかったかを12月25日までに回答するようにというものでした。前年度は配偶者ありとなっていました。

前年度は年金としては受給していませんから、こういう部分では社会保険庁のほうできちんと配偶者所得実績を調査して、控除対象となる配偶者ありとしているのですね。

もちろん平成22年度も「控除対象配偶者あり」ですから「変更なし」としてはがきにシールして返事を返しておきました。来年2月支払いの年金の計算基礎に使うと説明書に書かれていたので、初の年金受給は来年2月になるのでしょうね。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

このブログがお気に召したらクリックをして下さい

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村

甥の結婚式へ出席(12/5-7)

12月5 日(土曜日)

朝、新幹線に乗り、甥っ子の結婚式に出席するため、夫婦で九州熊本へ帰ります。途中鹿児島本線久留米駅に立ち寄って、どうしてもほしかった佐賀の珍味「蟹漬け」を購入しました。1個500円程度のものですが、やはり地元に行かないと入手できません。これで今回の旅の目的は半分は達成した気分になりました。

夜は、妹の家に宿泊して、近くの日帰り温泉に行き、しばしの休息。

12月6日(日曜日)

朝10時すぎに、妹夫婦といっしょに、熊本まで車で九州自動車道を利用して、熊本まで行く。昼頃に結婚式場の「KRR ホテル 熊本」に到着しました。

結婚式は午後2時、披露宴は午後3時と進み、夜は、そのままホテルに宿泊しました。ここですこしトラブル発生。備え付けのテレビがNHK総合だけしか映らないのです。妻がどうしてもみたい番組があるというので、すぐにフロントに電話したら担当者が新しいリモコンを持ってきましたがだめ。そこでエンジニアを呼びます。二人でみましたが原因不明です。仕方が無いから、彼らが隣の部屋を見に行ってようやく原因が判明しました。

テレビの裏面から表面に装着している、センサー状の配線の先が糊接着になっていますが、それがはずれていたことが原因でした。つまらない原因ですね。数時間たったらまたポロリと外れました。やはりきっちりプラグ式でないといけません。シャープ製の液晶テレビでしたが、設計上の不具合だと思います。

12月7日(月曜日)

朝は美味しい朝食でした。かまぼこ、漬物など和食と洋食と両方対応しており、味も美味しくて、さすがはホテル。イタリアとは大違いだと夫婦で感心致しました。その後、目の前にある熊本城に見物にいきました。高校生の修学旅行といっしょになりました。

熊本城の写真

Dscf0003

見学終了後、タクシーで上熊本駅へ行き、特急つばめ号で博多駅、博多駅で途中下車して今度は妻のおみやげ「博多通りもん」を購入。この博多通りもんは西洋風和菓子ですが大変美味しいものです。それが終わると博多駅から新幹線で帰宅しました。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

このブログがお気に召したらクリックをして下さい

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »